2010年4月10日に日本で公開されたヒット映画『第9地区』の感想記事です。内容に関する前情報なし、他のレビューも一切読まず、観て直感的に思ったことを書き殴った拙文でございます。ネタバレありです。
『第9地区』作品情報
製作国 | アメリカ、南アフリカ共和国、ニュージーランド |
ジャンル | SF |
日本公開日 | 2010年4月10日 |
監督 | ニール・ブロムカンプ |
キャスト
- 【ヴィカス・ファン・デ・メルヴェ】シャールト・コプリー(川島得愛)
- 【クーバス大佐】デヴィッド・ジェームズ(谷昌樹)
- 【クリストファー・ジョンソン(エイリアン)】ジェイソン・コープ(斉藤次郎)
- 【タニア・ファン・デ・メルヴェ】ヴァネッサ・ハイウッド(田中晶子)
『第9地区』あらすじ
1982年、南アフリカ共和国のヨハネスブルク上空に突如宇宙船が出現した。しかし、上空で静止した巨大な宇宙船からは応答や乗員が降りる様子はなく、人類は宇宙船に乗船しての調査を行うことを決定。知的生命体との接触に世界中の期待が集まる中行われた調査であったが、船内に侵入した調査隊が発見したのは、支配層の死亡と宇宙船の故障により難民となった大量のエイリアンであった。
乗船していたエイリアンたちは地上に移され、隔離地区である「第9地区」で超国家機関MNU(英:Multi-National United) による管理・監視を受けながら生活することになったが、文化や外見の違いから人間とエイリアン達との間では小競り合いが頻発する。人間達のエイリアンへの反発や差別は強まり、やがて彼らの外見から「エビ」という蔑称が定着するようになった。
宇宙船出現から28年後、エイリアン達の増加により、彼らを新たに用意された隔離区域である第10地区に移住させることが決定する。MNUの職員であるヴィカスは、立ち退き要請の同意を得るため第9地区を訪れるが、エイリアンの一員であるクリストファー・ジョンソンの住居で見つけた謎の液体を不注意により浴びてしまう。ヴィカスの身体は液体の影響で突然変異を起こし、徐々にエイリアンの身体に変化していく。それを知ったMNUはヴィカスを捕え、表向きには死亡と発表しながら生体実験の被検者とした。ヴィカスは隙を突いてMNUを脱走し、第9地区に逃げ込む。
Wikipediaより引用
『第9地区』感想
終始飽きがこない、集中力が途切れそうになる瞬間というものがない、それ程のめり込んで鑑賞できた。割と無理に集中力を出して鑑賞せねばならないような作品も(のほうが)多いゆえ、噂に違わぬ秀逸な映画だと感じた。何故だろうか?どんな部分がそう感じさせたのか?考えてみた。
世界観の説明がうまい
世界観の説明とは一番厄介な作業。特に日常生活を描いた作品ではなく、SFやファンタジーなど設定が作者による創作に依るところが多いと尚更だ。くどくどとナレーションじみて長くなると鑑賞者はうんざりし、かといって伝えきれないと作品に没頭できない。
しかしニュース調やドキュメント調で語っていくという手法を取り入れることで新鮮さやリアル感をうまく出し、少々荒っぽさややっつけ感はあるとはいえ、ディスクリプションの必要最低限を簡潔にまとめており、うまいなと思った。
鑑賞者はヴィカスの敵か味方か?
主人公のヴィカスが異星人に変身していく過程で、もはや人間界には受け入れられず、かといって異星人にはなりたくない(当たり前だが)、だからと行ってエイリアン達も味方というわけでもない。様々な感情が入り混じってヴィカスに感情移入する。鑑賞した方は彼にどのよう印象を持っただろうか?人間ならざる何者かに変貌していくことへの恐ろしさ、可愛そうと思う心、助かってほしいという想い、あるいはどんなおぞましい変異を遂げるのか?という好奇心や怖いもの見たさもあるだろう。恐怖、同情、憐憫、あるいは怒り?
怒りとは、度々印象付けられる人間の身勝手さ、異種族を蔑視、迫害することの嫌悪感。
変貌を遂げていくヴィカスの思考はあくまで自分本位(ある意味人間らしい部分)であってエイリアンは下等生物か何かだとでも言うような差別する心を持ち続ける。そこはなかなか変貌を遂げない。知能の高いエイリアン:クリストファーには小屋に匿ってもらうにも関わらず、結局クーバス大佐が押し入って来た時に(クリストファーを)殴り飛ばして気絶させ、裏切る。多くの人はムカついた筈だ。私はムカついた。
幾度もエイリアンに歩み寄っているように見せて土壇場になると裏切るヴィカスに助かってほしいのか、むしろくたばってほしいのか、よくわからなくなる。本来は勧善懲悪がはっきりしている物語がセオリーと言える中、善と悪の間を行ったり来たりする。とても興味深い展開だ。
だが最後の最後でヴィカスは利他的な行動をする。やけくそになっているだけなのか否かはわからないが自ら犠牲となってクリストファー親子を上空へと逃がすのだ。
おそらく最初からヴィカスが完全にいい奴として描かれていたならばここまで感情移入はできまい。利己的なキャラとして引っ張っておいてからの最後の最後で利他的な行動をさせることでギャップ最強の法則の基に一気に鑑賞者の心を掴む。
そして更にトドメの一撃がラストシーン。完全に変異してしまったその姿と一輪の花というコントラスト、なんと切ないことか…。
人外の何かに変貌する系シナリオというのはもはや定番のひとつかもしれないが、かつての人としての温かみが失せて言葉すらまともに扱えなくなってしまうような展開というのは、いつの時代も切なく、心揺さぶられるものだ。
ちなみにその手の物語で私の印象に残っているストーリーといえば『アキラ』の鉄雄、『火の鳥 宇宙編』のナナ、あと『バイオハザード CODE:Veronica』のスティーブとか…。
あえて突っ込むとエイリアンの設定や背景
「第9地区にエイリアンを閉じ込める」という状況を前提にしてやっつけ設定とでも言うような雑な印象を受けた。
例えば、素の状態で人間を一撃で何メートルも吹っ飛ばすような腕力をもっているエイリアンが大勢いつつ、更に第9地区内に彼らの超ハイテク武器がギャングの手によって保管されている。この状況ならクリストファーなどの知能の高いエイリアンが大勢を先導して反旗を翻せば人間に立ち向かうのも難しくないのではないか?あるいは戦うのは困難だとしても上空の宇宙船への移動ならできそうなものだ。少なくとも親子二人(二匹?)だけで行動するよりは、なんて鑑みてしまう。
エイリアンのデザインについて
ややグロテスクだがコミック調過ぎず、いい感じにリアルなのがまたいい。あれ以上ポップになると子供向け映画になるし、あれ以上グロくしてしまうとホラーになってしまう。絶妙な塩梅でキモいと感じた。
厨二病ウェポンは是か非か
武器やパワーアーマーのデザインが厨二病っぽく、違和感を覚える人もいるかもしれない。リアルな異星人と人間との共存が主軸でありながらそこだけサイバーパンクしてんなーみたいな。とはいえ、一発で人体を粉微塵にする弾丸だとかギャングが総射撃した弾を空中で止めつつ集約させて一気に弾き飛ばす(とっさに『寄生獣』が思い浮かんだ>後藤が軍隊の弾丸を体内でかき集めて放出するシーン)など、攻撃パターンのアイデアは面白かった。また血がカメラのレンズにまで飛沫がつく演出、あれいいよね。
まとめ
5点満点中4点:
もう10年も前の映画ではあるが、自分史上トップクラスに入る作品であった。散々名作だという話を聞いてハードルが上がっていたにも関わらずだ。なので観てない方には胸張っておすすめできる映画です。
また、種の共存・協力がひとつのテーマになっている点、そして片手が(片手から)変異するという部分も併せるとやはり名作漫画『寄生獣』を思い起こさせる。ニール・ブロムカンプ監督は『攻殻機動隊』を筆頭に日本のコミックやアニメが大好きらしく、あるいは寄生獣リスペクトも入っているのかもしれない。